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2024.07.31

コラム

関の刃物産業の歴史

名古屋から車で北に1時間ほどの距離に位置する包丁の産地、岐阜県関市。日本国内での包丁生産シェアは50%を占めており、関市およびその周辺で作られた刃物は、「関の刃物」として特許庁の地域ブランドの認定を受けています。海外にも広く輸出されており、ドイツのゾーリンゲン(Solingen)、イギリスのシェフィールド(Sheffield)とあわせて3S都市と呼ばれ、世界三大刃物産地の一つとして知られています。今回のコラムでは、関が包丁の産地として栄えた歴史的背景についてご紹介いたします。

目次
1. 刀匠を魅了させた、刃物づくりに最適な地
2. 関での日本刀作りの最盛期
3. 日本刀の需要減少と家庭用生活刃物づくりのはじまり
4. 近代的な製造形態への転換による関刃物の復興
5. 家庭用生活刃物の世界的な生産地へ
6. さいごに

刀匠を魅了させた、刃物づくりに最適な地

関での刃物産業が栄えた理由は何より、刃物作りに重要な3つの条件「①水、②木、③土」が全て揃っていることです。関には、①冷却水として必要な純度の高い水を供給できる長良川と津保川があり、②鋼を溶かす燃料に必要な松炭が飛騨の山々から手に入り、そして③鋼の熱処理に不可欠な焼刃土に使う赤土が採れるという、刃物づくりに最適な地なのでした。
そして今から780年ほど前の鎌倉時代中期頃に、この地(当時の美濃国)に「元重(もとしげ)」という刀匠が移り住んだことが、関での刃物作りの発祥となりました。

関での日本刀作りの最盛期

その後、多くの刀匠が各地から移り住み、南北朝時代に入ってから、「志津三郎兼氏」と「金重」によって「美濃伝」が確立されました。美濃伝とは、日本刀づくりの伝法「五箇伝」のひとつで、強靱さ、切れ味の良さ、実用性の高さが特徴です。このように高い品質を評価された関での日本刀づくりは、室町時代に最盛期を迎えました。現在岐阜県内の刀匠は10名ほどですが、この頃、関は300名以上の刀匠を有する一大産地として栄えました。「折れず、曲がらず、よく切れる」関の日本刀は、勘合貿易により輸出量が増大し、戦国時代に差し掛かると多くの武将の間で愛用され、大量に生産されるようになりました。

日本刀の需要減少と家庭用生活刃物づくりのはじまり

しかし、江戸時代になり乱闘がなくなるにつれ、日本刀の需要は落ち込んでいきました。そのため、これまで日本刀を製造していた刀鍛冶の中には、その技術を生かして、包丁や小刀、ハサミやカミソリなどの家庭用の刃物を製作する野鍛冶に転向する者が増えていきました。これが、現在に続く関での幅広い家庭用生活刃物づくりのきっかけとなりました。
明治時代に廃刀令が布かれた後は、さらにその傾向が加速していき、刀鍛冶のほとんどが家庭用刃物の生産に転向しました。また、欧米から紹介されたポケットナイフの生産が始まったり、家庭用生活刃物の輸出が行われたりと、近代刃物の産地として発展を続けていきました。一方で、刀剣づくりは完全に消滅した訳ではなく、軍刀や輸出向けの観賞用の刀の製造が続けられました。

近代的な製造形態への転換による関刃物の復興

第一次世界大戦が始まるころ、軍刀をはじめとする刀剣の需要が増えて、刀剣が再び輸出産業として盛り上がることとなりました。その結果、「関打刃物同業組合」が県から認可され、地場産業としての地位を確立しました。しかしそれも束の間、大正9年の世界恐慌の打撃を受け、関の刃物産業は弱体化してしまいました。不景気を生き残った製造会社は、生活必需品の包丁、ポケットナイフ、小刀、洋食器、生け花道具、農具を中心に製造を行い、これまでの受注生産から、見込み生産の形態に移行しました。また、型抜き、組み立てなど、製造工程ごとに分業するシステムが確立されて、近代的な製造業の形態へと転換を遂げました。さらに、県立の金属試験場が設置されたことでより一層製品の品質が高まり、輸出拡大を実現し、世界恐慌の影響から脱しました。昭和初期には国内の刃物生産の大半を担い、第二次世界大戦では大日本帝国陸軍指定の軍刀の大量生産を受け持つなど、関の刃物産業は復興期を迎えました。

家庭用生活刃物の世界的な生産地へ

敗戦後、軍刀の市場価値は完全に喪失しました。主力製品を失った刃物業者は、再び包丁やポケットナイフなどの家庭用生活刃物を主力に、輸出を中心に復興を遂げました。その後高度経済成長期の波にのり、日本初となる安全カミソリの替え刃や栓抜き、缶切りなど、製品が多様化していきました。昭和40年代には、ドイツのゾーリンゲンに並ぶ世界的な刃物の生産地として、世界中に関の名が知れ渡ることとなりました。
現在、岐阜県関市には刃物産業にかかわる会社が約400社あり、国内での包丁の生産シェアは50%を占めています。また関の刃物の知見を深められる関鍛冶伝承館刃物会館せきてらすなどの施設ができたり、毎年10月には、刃物祭りが開催されたりと、刃物のまちとして賑わいをみせています。

さいごに

かつて「折れず、曲がらず、よく切れる」日本刀を高く評価された関。現在も関の刃物は「切れ味がよく」「芯が強く」「刃こぼれがしにくい」と、その高い品質が世界から評価され、日本刀づくりが行われていたころからの伝統が受け継がれています。このように、時代が移り変わり、武器としての役割を終えた関の刃物は、生活の必需品に姿を変え、今なお人々の暮らしを支えています。

井元産業では関の刃物はもちろん、多種多様な包丁を取り扱っております。
また包丁の他にも様々な種類の陶磁器やキッチン用品、日用雑貨を取り扱っています。
詳しくは、「取引商品・実績」のページをご覧ください。

(関の刃物 取引商品・実績)
日本刀はさみ
爪切り
TSマダム三徳包丁
TSマダム牛刀包丁
一玄ダマスカス包丁
関龍包丁
喜伝次爪切り
爪切りニッパー喜伝次

(参照)
財団法人岐阜県産業経済研究センター
岐阜県総合教育センター
関市刃物まつり実行委員会
刀剣ワールド

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