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2023.08.21

コラム

波佐見焼とは?日用食器として親しまれる磁器

波佐見焼(はさみやき)は、長崎県中央部に位置する波佐見町で生産されている磁器です。有田焼で有名な佐賀県有田町と隣接しており、その歴史には似ているところもあります。今回のコラムでは、波佐見焼の歴史や特徴について、ご紹介いたします。

目次
1. 歴史
_1.1 波佐見焼のはじまり
_1.2 陶器から磁器へシフトチェンジ
_1.3 生産量増加に対する対応
2.  特徴:有田焼との共通点と相違点
3. 代表製品
4. おわりに

歴史

波佐見焼のはじまり

今では、磁器の生産で有名な波佐見町ですが、その昔、1500年代末から1600年代初頭にかけては、陶器の生産が行われていました。この時代、現在の佐賀県・長崎県の一部を中心に、唐津焼が広がり、その影響により、波佐見でも陶器が焼かれるようになったのでした。

磁器の生産が本格的に始まったのは、1630年代頃からのことで、そのきっかけは、有田焼の歴史と同じく、豊臣秀吉による朝鮮出兵が関係しています。波佐見地方の領主である大村喜前(おおむら よしあき)は、朝鮮からの撤退時に、朝鮮人陶工の李祐慶(り ゆうけい)を波佐見の地に連れて帰りました。その後、祐慶は、波佐見町の3カ所に連房式階段状の登り窯を築き、磁器の生産を始めました。これが波佐見焼の礎となりました。

陶器から磁器へシフトチェンジ

丁度この1630年代頃、隣接する有田では陶器を作っていた窯場を廃止して、磁器の生産を中心に行うようになっていきました。また波佐見町内では、三股地区で磁器作りに適した陶石が豊富に埋蔵されていることがわかりました。そのため、波佐見でも有田と同じ動きで、陶器から磁器へ生産がシフトされ、主に染付や青磁が生産されるようになりました。

なお、この三股砥石陶石採石場は、現在国の史跡となっており、江戸時代初期から昭和40年代にかけての約350年もの間、磁器生産のための陶石の採石が続けられたのでした。現代の波佐見焼は、有田焼にも使われている、熊本県の天草陶石を主原料としています。

生産量増加に対する対応

1650年頃からは、輸出量が増え、窯の数も増えていきました。生産量が増加したため、大村藩は「皿山役所」を設置し、藩自たちがやきものの生産管理を行うようになりました。

1690年前後からは、海外向けより国内向けのやきもの作りが中心となりました。リーズナブルで使い勝手の良い日用食器は、日本各地で人気を博し、その生産量は日本一を誇りました。全国各地の江戸時代の遺跡から波佐見焼が出土していることからも、伊万里港から全国に出荷されていたことがわかります。この生産量を実現させたのは、世界にも類を見ない、全長100m以上もある巨大な登り窯の功績によるものです。

明治時代に入ると、皿山役所は廃止され、巨大な登り窯は規模の縮小を余儀なくされました。この影響で、波佐見焼存亡の危機となりましたが、養成所の設立や業界団体の結成など、業界全体での復興を図ったおかげで、活気を取り戻して現代に至るまで、日用食器の生産が続いています。

特徴:有田焼との共通点と相違点

波佐見焼は、有田焼との比較がされることがあります。それぞれは共通点を持ちながらも、異なる特徴を持ちます。

◎共通点
・原料に良質な天草陶石を使用している。
・透き通るような白色の磁器。
・朝鮮人陶工により礎が築かれた。

◎相違点
・有田焼:高級、華やか。
・波佐見焼:日常使い、シンプル。

代表製品

波佐見焼の代表的な製品には、以下のようなものがあります。

くらわんか碗

土もの風の少し粗い素地に、唐草模様を筆で簡素に描いた、日常使いの食器です。庶民にも手が届く手頃な値段で売られ、磁器碗は高級なものというこれまでの常識を大きく変えることとなりました。江戸時代の商人が「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売ったのが名前の由来と言われています。

コンプラ瓶

酒や醤油を輸出するために使われた、瓶状の磁器です。独自の形状はオランダ人の注文によるものでした。フランスの工程ルイ14世やロシアの文豪トルストイも気に入って愛用していたと言われています。また、「金富良商社」によって輸出がおこなわれたため、この名が付いたと言われています。

ワレニッカ

1987年に給食用の食器として開発された、強化磁器のルーツとなる存在です。「割れにくい」の方言である「割れにくか」が名前の由来と言われます。今では、全国の学校や病院で使われています。

おわりに

波佐見焼は、日常使いの食器として、日本各地の多くの庶民からの人気を博してきました。有田焼の産地である有田と程近いことにより、その歴史や使用している陶石に共通点がありますが、華やかで高級なイメージのある有田焼に対して、日常使いできるシンプルなデザインであることで、庶民に多く広まったのでした。また、これまでの磁器に対する高級なイメージを変える存在となりました。江戸時代に始まり、現代に至るまで、庶民の生活に身近な存在である波佐見焼は、これからも私たちの生活とともにあり続けることでしょう。

井元産業では、多種多様な日本の陶磁器や焼き物を扱っております。詳しくは「取引実績・商品」ページをご覧ください。

(参考)
波佐見陶磁器工業協同組合
波佐見町観光サイト

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